小林牧牛の世界

              

牧牛のひとりごと

バランス

初めは世間に認めてもらいたい。

もっともっと上手くなりたい。

など、技だけをひたすら追いかけていました。

でも、あるときに気がついたのです。

心と技のバランスがとれていないと、本物ができないと。

それで、初めの一歩にもどったときに、本物のプロになれた気がしました。

作家

心の中で形成された心像を粘土に移す。

作家を知りたければ作品を見ればわかります。

最近

最近、陶人形を作らせていただける、喜びありがたさをつくづく感じます。

答え

答えは、いつも現場が教えてくれる。

答えが見つかった。

作家を始めた頃、毎日のように個展会場に来てくださる東大の教授がいらしゃいました。

そして、「売れるものを作ってはいけない」と言われ、自分ながらに媚びた作品は作ってはいけないのだと解釈しました。

そんなことを「フッ」と何十年ぶりかで思い出し、答えが見つかったような気がします。

やはり、売れる作品を作らないといけません。

そして、生活の基盤ができたら人に媚びない作品を生み出す。

僕もそろそろ、こんな作品を作りたくなりました。

信じる

陶人形を自分が造作しようなど、おこがましいことを考えてはいけません。

土の持つ力、炎のなせる仕業を信じ、ただ自分は指を動かすだけでいいのです。

そうすると、人によく見てもらおう、うまく作ろうなどとの考えが自然になくなります。

手は言葉を発しないけれど、熱き思いを土に伝えてくれる。

僕の手は、とてもシャイだ。

人前では人の目を意識したら最後、とたんに手はギクシャクと萎縮してぎこちなく動く

が、忙しさのあまり腱鞘炎になって激痛で悲鳴をあげながらも、一日も休まず耐えて

くれた。

今年もまた、この手から沢山の子供たちが生まれるようにと手と手を合わせ合掌す

る。

商売

作家家業を始めた頃、ある方が「商売は損得で判断するのではなく、善悪で判断しな

ければいけない」と教えてくださった。

もうすぐ16年目になろうとしているが、大不況の時代に困ることなく仕事を続けてこら

れたのも、この教えを守って来たからだと思う。

人脈

今日、ある方からとても有名な人をご紹介してくださるとの電話があった。       

一瞬迷ったがお断りした。

確かに人脈作りは大切だと分かっているが、相手が僕を必要としてくれるならいいが、

一方的に何かを期待して近づくなら、一時的なご縁で終わってしまうような気がする。                                

人脈はお互いに必要のあるときに、必要な人とご縁が出来るのがいいと思う。

錬金術のようなもの

粘土をこねて作り出すということは、何もない穴の中に手を伸ばし、かき混ぜ、もんだ

り、なでたりして、あたかも錬金術のように穴の中から形ある物をつかみだすようなも

の。

大切なこと

技の前に人間ありき。

僕自身、作品の前に人間ありきでありたい。

作為

お百姓さんが、土作りを一番大切にするように、作陶家も一に土、二に焼き、三に作為

なんですよ。

取材

今日、新企画出版局で出版している、「陶遊」という雑誌に掲載する「縁起物(仮名)」の特集記事の取材に編集者とカメラマンの方が、来てくださいました。
過去にテレビとか新聞、雑誌等の取材経験があるのですが、やはり話をするのが苦手です。
でも、自分では見えないところを、編集者の方が上手く引き出してくださったり、カメラマンの方も駄作を少しでもよく見えるよう、いろいろな角度から撮影してくださり感謝の内に無事取材が終わりました。
7月25日発売の「陶遊」に、インタビュー記事が掲載されてます。


不景気なときこそ

不景気なときこそ経営者は、仕事を広げようと考えず、もっともっと一点に集中して深く

掘り下げていくことが大切だと思う。

オンリーワンになることが生き残るチャンスです。

商店

商店の不況が続いている。

「今日はいくら儲かった」とか、「今年はどのくらい儲けよう」とか、利益を優
先して、感

動させようという気持ちが、なくなってしまった結果ではないだろうか。

日本橋高島屋個展



思いがけない人と出会い、かけがえのない人と語る。            

一期一会の喜びと、無限の感動を覚え、会場は喜びの舞台となる。    

今年も沢山の人がご来場してくださり、大盛況の内に終えることが出来まし
た。

心から感謝いたします。

技巧

陶人形作りは、技巧ばかり求めていてはダメ。
 
無心に土の中に溶け込むことができなければ、土は人間の邪心を見破ってしまうから。 

色即是空 空即是色

この目で見える物は、この世限りでおしまいですが、肉眼で見えないものこそが、生死を超えて無限に続くもの。

見えないものにこそ、見る努力をしなければいけない。

アツイ


京都に行ってきました。

今月の31日まで、「朝日陶庵」さんでお月見展を開催してます。

メチャクチャ暑かったです。

ネガティブなことは口に出さないように気をつけてるが、今年の夏は思わず
「暑い、暑い」と弱音を吐いてしまいます。

散歩

いつしか夏の香りは失われ、秋がひとやかに忍び込む風に誘われて、久しぶりにイヌの散歩に出かけた。
名もわからない草花が咲き、虫の音も心地よく耳に響く。

作り続ける

陶人形をどのように作っていいのか迷った時代があった。
自分が作りたいと思ったこと、面白いと感じたものを土に写してゆく。
どのような形が好まれるかなど考えないで、作りたいように作ればいい。
これからも、そうやって作り続けたいと思う。

ギャラリー美器 個展を終えて

2年に1度の個展。

今年もたくさんの方にご来場いただきました。

楽しい会話は、たとえ簡単な言葉でも、ずっとずっと心にこだまします。

皇室献上

僕が作る拙い陶人形が、皇室献上の栄を賜りました。

桃栗三年
柿八年

自分一生

イタリア見聞記

イタリアに行ってきました。

日本という国を外側から見ると面白い。

海外に行くとつくづく日本人は真面目な国民だと思います。

イタリア人は頑固な国民だと思います。

他人がどう思おうと、自分は自分のルールを守っています。

サラダにドレッシングは邪道だと思っているらしく、そのまま出てくるかオリーブオイ

ルがかかっている程度です。

サンドイッチも一週間ぐらいたったようなパサパサの水分が抜けたようなパンに、ハ

ムだけとかチーズだけとかがはさんであるだけです。

ハムとチーズを合わせるなんか邪道らしいのです。

ピザはパン生地にチーズだけのシンプルなものですが、とても旨いです。

ケーキなんかはドイツでもそうでしたが、日本人の口には甘すぎるような気がしま

す。

イタリアの街を歩けば犬の糞だらけ、こそ泥だらけです。

人を刺して物を盗むというやり方ではなく、置き引きやスリといったやり方です。

バックのファスナーを開けて財布を盗んだあと、気づかれないようにファスナーを閉

じておくという芸当もするそうです。

運転技術はすばらしく、ローマの路上駐車の多い細い路地でも、すいすいすり抜け

て走ります。

日本のように信号なんか守りませんから、街を歩いていても命がけです。

イタリア人はおしゃべり好きな国民です。

客室乗務員は乗客が側にいても、仕事をしながらでも、お構いなくしゃべり続けてい

る。

街で見かける警察官も、三人いれば二人はおしゃべり、残った一人が仕事をしてい

る感じです。

ボートに乗れば、船長と船員が前を時々見ながらしゃべり続けてます。

それから、サービスというものがありません。

何かをしてほしかったら、お金を払わなければなりません。

まず、朝ホテルの部屋を出るときは、枕銭を枕の下に置いとかなければいけませ

ん。

用を足したくなったら、トイレの入り口にいる人にチップを渡すか、喫茶店のようなと

ころに入って何かを注文してトイレを借りるしかありません。

街で「写真を撮ってあげる」と言われ、「お願いします」と言ったら最後、いくらふんだ

くられるか分かりません。

イタリア人は陽気だと思ってましたが、そんなことはなくホテルでも売店でもニコリと

もしません。

もちろん冗談も言いません。

イタリア語で言われても分かりませんが。

売店で物を買っても、ありがとうも言わずポンといった感じで手渡されます。

つくづく日本のサービス精神はすばらしいと思います。

日本はサービスと言うより「おもてなし」だと感じます。

日本の「一期一会」のようなサービスは、世界に誇れるすばらしいことだと、つくずく

感じました。

それでも、街全体が美術館のようなイタリアはすばらしい国だと思います。

旅行の詳しいことは、下記をご覧ください。



あけましておめでとうございます。

今年のお正月は、なにをしてすごしてますか。

僕のお正月は、元旦に子供の頃からずーとお参りしている、東京の大宮八幡宮、妙法寺、そして子供の頃一緒に遊んだお地蔵さんに、新年のご挨拶に行くのが恒例となってます。
二日目は、届いた年賀状の整理をして、3日目が仕事始めとなります。

さて、お正月とは
昔の日本人は、お正月は「年神さま」のお祭りだと考えてました。
この年神さまは、それぞれの家の祖先の魂です。
すごいパワーがありますから、みんなに幸福をもたらしてくれます。
この年神さまをそれぞれの家にお迎えして、お祭りするのがお正月です。

年神さまは、12月31日の夜にやって来ますから、里芋や大根など野菜をお供えしました。
1月1日にそのお供えを切り刻んで、作った物が「おぞうに」です。

そして、年神さまにお供えした「おもち」を分けてもらって、みんなが年神さまのパワーを頂きます。
昔はこのお餅が「お年玉」でした。






仕事

仕事は、自分自身の力で努力するものだと思い続けてきました。
でも、お客様のお陰、周りの人たちのお陰で、やってこられたと気付きました。

仕事とは、お客様に喜ばれ、感謝されることだと思います。

あした

僕が若かりし頃、苦手なことや辛いことをしなければならないとき、「明日からやろう」と言っていた。
よくよく考えてみたら、今日寝て起きたら今日なのです。             

明日ではないのです。                               

だから、「明日からやろうではなく、今日からやろう」なのです。
人生は今の連続。
やるべき事は、今やったほうがいいと思う。

完全

陶人形を作っていると、どうしても完全を求めたくなる。

けれど、これはいつまでたっても無理なのです。

人間なんだから、最高で78パーセントあとの22パーセントは、次の課題にすると作る

のが楽しくなります。

北海道に行ってきました。


初めての札幌でしたが、天気もよく仕事が終わってからの飲み会は最高にしかったです。

偶然同席した人からも学び、楽しみながら成長することができると感じまし
た。

人に喜ばれる存在になること。
それは一番シンプルで、そして一番大切なことなんだと。

驚きました。

卒業式と言えば、この歌が歌われた「仰げば尊し」

日本で作曲、作詞された文部省唱歌だと今までずーと信じていたが、アメリ
カの卒業の歌が原曲だとニュースで知った。

一橋大名誉教授の桜井雅人先生が発見したそうです。

これからも、日本の卒業式の定番であり続けてもらいたいと願います。

でんわ

大被害にあわれた地方の方から電話を頂いた。
無事だとの声に心の芯から安心した。
本当に良かった。
あまりにも多くの命、家、町が失われ、どうなったのだろうかと心配していた。

今日も生かされている人は幸せです。
だから、今日も一生懸命生きなければいけないと思う。
生きていれば、きっといいことがあると信じている。

髙島屋大阪店個展

高島屋での個展、無事終わりました。
今年も沢山の方に来ていただきました。
短い会期に多くの方にお会いしました。
足柄の自宅に戻りお客様カードを見まして、お話の出来なかった方も大勢いらしたのが心残りです。
このように多くの方にご来場いただき大変感謝しております。                
よきご縁がいつまでも続きますことを心より祈ります。
    
ありがとうございました。

理屈

ものつくりに理屈などいらない。

ただ無心に作ればいい。

ゆとり

作家家業をさせて頂いてから 、祝日も盆も正月もなくなり作り続けております。

これを嫌だと思うなら作家家業は続けられません。

世間並みに週に二日も休むと、手の感覚が鈍ります。

作家は暇なしぐらいで、ちょうどいいのです。

忙しい

不景気の時代に、こんなことを言うとバチが当たりそうだ。

忙しさと作品の上手、下手はさほど関係ないと思う。

僕はけして上手くないと分かった時から、より忙しくなった。

お客様に感謝する気持ちが、より深くなったからだと思う。

牧牛風陶人形


巷に「牧牛風陶人形」と名付けられた陶人形が売られている。

なにか複雑な心境である。

ちなみに私が作った人形には、裏に写真のように自筆で名前を入れています。

陶人形教室

毎年、九州の「小林牧牛のお地蔵様館」、北海道の「小林牧牛陶人形館」で陶人形

教室を開催している。

今年も八月に北海道で開催する。

これはビジネスとしてやっているわけでないので、上手に作れるように教えるのでは

なく、あくまで皆で土遊びをする感覚でやっている。

これからも、ボランティアで土遊びの楽しさを教える活動を、増やしていきたいと思っ

ている。



北海道

洞爺湖に行ってきました。
社会福祉法人 幸清会 小林牧牛の陶人形館で、職員の皆さんに陶人形教室をするのが目的です。
遊びで行くとなると、なかなか時間がとれないが、なにか目的があると行く決心がつきます。
生まれつきの貧乏性なのかもしれません。
北海道の夏は暑くなくカラっとした気候で、とても過ごしやすかったです。
そして、夕暮れは本当に心が癒されます。
広大な大地と、美しい風景が、日頃の忙しさかを忘れさせてくれます。
それにしても、足柄の地は蒸し暑い。
もうしばらく、湿度の高い蒸すような暑さに耐えなければなりません。

今年の猛暑

いうまいと思えど今日の暑さかな。

まったく釜中の鮒の感じです。

指の数は何本?

猛暑で指の数が分からなくなった。 わけではありません。

そろそろ毎年恒例の干支を考える時期になりました。
来年は辰年です。
全体のイメージは頭に浮かんでいるのですが、さて指は何本にするか迷ってます。

中国では5爪の龍が最高とされてます。
日本に伝わってくるにつれ、3本指になったようです。
何かの本で読んだような気がするのですが、龍が登竜門を通ると五本指になり天に昇ると書いてあったような。

人生とは傷つき、立ちすくみ、迷い、苦しみ、悩みながら苦境に耐えて強く生きぬかなければなりません。

コッコッ努力して成長してゆくことに、人生のおもしろみがあると思うので、三本指にすることにします。

神様の数え方

柱(はしら)と数えます。

たとえば、一柱(ひとはしら)、二柱(ふたはしら)という数え方です。

ただし、日本古来の神だけです。

なぜ、柱となるかは、諸説がありますが、日本の縄文時代から柱、大木を神と崇めていたという学説があります。

現在でも神社の境内などに、神が宿っていると信じられているご神木があります。

ホームで

柏崎で個展があり、行ってきました。

その帰路でのこと、ホームの乗車口の場所にバックが一つ置いたありました。
所有者はいないので、誰でもする場所取りだと別に気にせず、その後ろで列車がくるのを待っていたところ、初老のご婦人が現れ「わがままをさせて頂きました」と言われました。

昔は日本人特有の言葉がありました。
たとえば、酒をすすめるのに、「手伝ってください」とか、物をあげるのに
「あずかってください」というように相手を思いやる言葉です。

最近はこのような言葉を使う人が減ったように思えます。

天皇陛下

天皇は天と民を結ぶ、すめらみことです。

なぜこのようなことを書いたかというと、ある人が皇室は税金泥棒のようなことを言ったからです。
天皇は1月1日早朝に、東西南北の神々にさまざまな国難は、我が身を通過するように祈ります。
これを四方拝といいます。

国民1人1人の身代わりになる。
それだけでも、普通の人間にはできないことです。

ほどほど

僕が作る陶人形は、けして上手いとはいえない。
でも、20年近く今年は売れなく困ったということもなくやってこられたのは、見てくださる方々が疲れないからだと思っている。
完璧を求めるのではなく、ほどほどが大切なのかもしれない。

時間をかけて

現代は時間や手間をかけずに、あらゆるものが手に入る。
そんな時代だから、ゆっくりゆっくり時間をかけて作ってゆきたい。

こんな仏さまができたら。

怒るでもない
悲しむでもない
喜ぶでもない
なにか全部含めた仏さまを作れたら。

救急搬送

今日、尿道結石で病院に行ってきました。
腰に何ともいえない重い痛みが、だんだんと強くなり自力で病院に行こうと思ったのですが、動けなくなり救急車のお世話になりました。
このような苦しみも物事のとらえ方によっては変わると思います。
朝起きて夜寝るまで何も起きないことが、最高の幸せだと再認識できました。
普段陶人形を作り何事もなく過ごしている普通の生活が、当たり前と思っている自分に気づかしてくれました。
普通の何も起きない生活が、最高の幸せなのだと感じられた一日でした。

日本人

「日本人ほど、お互い楽しく生きていく秘訣を心得ている国民は、ほかにちょっと見当たらない」
このような言葉を小泉八雲が残している。
物が豊かになるにつれ、日本人が持っていた思いやり心の豊かさを、現代人は忘れかけているように感じる。
本当の幸せは自分の心が決めること。
ブータン国王夫妻を拝見して、心が温かくなったのは昔の日本人が持っていた何かを思い出させてくれたからかもしれない。

僕が作る陶人形は

僕が作る陶人形は
 
人を励ますものでありたい。
 
人を和やかにするものでありたい。
 
人を優しい気持ちにするものでありたい。
 
人を温かな心にするものでありたい。

シンプル

人形を作ることは、とてもシンプルです。

この単純作業を、幸せで楽しいと思えると、退屈しません。

奇跡の回復

数日前から風邪気味だったが、昨日本格的に体調が悪くなり、早く床につくが今日の朝は起き上がることができず、昼頃まで布団に入っていた。
階下に降りようとして階段から足を踏み外し、背中、腕をしこたま打つ。
運がいいことに痛みだけで怪我はなかった。
このお陰で体内からアドレナリン、ドーパミン(?)が吹き出し、弱っていた細胞が活性化し、午後には仕事ができるまでに回復してしまった。

大晦日

今年も仕事に私生活に充実した一年でした。
その分、時の流れが速すぎます。

年の瀬に、今までに出会った人々に感謝し、これから出会う人々を大切に。


平成24年お正月

卯年から辰年にあらたまりました。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。

人が往き来し、むつまじくすることから一月を睦月と呼ぶそうです。
人の心と人の心をつなぐ年でありたいと願います。

今年も

一昨年も去年も今年も一昨日も昨日も今日も土遊び。

作り続ける

作るもの、作るもの全てが腑に落ちたらつまらないと思う。 
 
腑に落ちないからこそ、続けられるのだと思う。

富士山


最近、富士山が噴火するとか、しないとか騒がれています。
富士を書にたとえるなら楷書だと僕は思う。

本日、富士は快晴なり。

節分

今日は節分ですね。

節分と言えば鬼です。
鬼は古来中国では、道教的世界観に肉体をもたぬ、姿が見えぬもの、鬼神なる霊的存在でありました。

日本でも姿が見えぬもの、不気味なもの、隠れたもの、陰なるもので、陰を「おん」と発音するところから、オニと読み、鬼を陰(オニ)、または隠(オニ)とも書き、鬼という字にある「ム」は、故に姿相が見えぬという意味だそうです。

僕が造作する鬼さんは、邪気を食い尽くす「厄除け」の鬼です。
「鬼神即福神」だと信じてやみません。

永六輔さんの言葉

僕は永六輔さんの言葉が好きです。

「生きているということは、誰かに借りをつくること。
生きてゆくということは、その借りを返してゆくこと」
歳を重ねてきて、その言葉の深さ分かってきたように感じます。

春よ来い

虫たちが冬から目覚めてうごめく啓蟄がおとずれ、我が家のサクラソウの芽が土から顔を出した。

命にぎわう春よ来い。


3月11日

東日本大震災は、今日で発生から1年となった。
死者、行方不明者は1万9千人になった。

今日という日は、大切な人のために生きたい、どうしてもやらなければならないことがあるので死ぬわけにはいかない、そんな思いをして亡くなった人が、なんとかして生きたかった今日なんです。
今日、生かされている人は、精一杯やるべき事をして生きて行かなければならないと思う。


おまたせしました?

善の反対は悪。
吉の反対は凶。
幸の反対は?
不幸ですね。
不幸という単語はないですね。
この世界には幸も不幸もないのではないでしょうか。
良いこともなく悪いこともなく普通に一日が終わる。
これが最高の幸福だと気がつきました。

4月上旬に
牧牛の日めくりカレンダー「なんとかなるさ」が発売されることになりました。
今日は気持ちがヘコんでる、一歩前にでる勇気がでないというときに、気楽に読んでいただければ、気持ちが変われるかもしれません。
幸も不幸も自分の気持ち次第ですから。
「なんとかなるさ あきらめず」「くよくよするな あるがまま」の姉妹品です。

ぱるす出版からの発売です。

豪華なお花見

先日、いけばな松風・家元のお招きでお花見に行ってまいりました。
家元のお庭の樹齢100年の桜は、それはそれは立派でまるで能舞台の様でした。
そして、有名なフルート演奏者の大嶋義実さん、バイオリニストの佐原敦子さんも
ご招待されていて、美しい桜の花を観ながらの生演奏を聴くことができ、至福のひとときを過ごさせていただきました。
僕は時々こんな事を考えます。
この世は娑婆というぐらいですから、人生は辛い修行をする場か、そうではなく本来は人生を喜び楽しむための場なのか。
幸も不幸も自分の心しだいですから、辛いことがあっても人生を楽しみ一人1人が喜ばれているという喜びを実感しながら生きてゆけば、その答えがやがて分かるような気がしてきました。

佐原敦子さんのコンサート
ピアノカルテットコンサート
4月27日 19:30開演
横浜鶴見区民文化センター サルビアホール

大嶋義実さんのコンサート
一晩で三倍楽しい 大嶋義実のおしゃべりコンサート
5月11日 18:30開場
東京 アーティストサロンDolce
5月12日 18:00開場
大阪 ドルチェ・アーティスト・サロン

チェンバロ&フルート 天使たちのメロディ
7月16日 13:00開演
ホテルメトロポリタン高崎 6階「丹頂の間」


個展を終えて

大阪髙島屋の個展が、盛況の内に終えることが出来ました。

昔とは違って現代は、芸術家や作家を援助してくれるパトロン的な存在はいなくなったが、支えていきたいという思いもあって私は作品を購入している、と言って下さったお客様がおりました。

毎年毎年ご来場して下さり、「もう置き場所がない」と言われながらも作品をご購入して下さるお客様が多数いらしゃいます。

僕は感謝の念で一杯になり、お客様という概念が変わりました。
僕にとってのお客様は、ただのお客様の存在ではなくなりました。
お客様1人1人が僕を支えて下さる、「ごひいきさま」なのだと気がつきました。
つまり、力を添えて助けて下さる後援者なのです。

この感謝の気持ちは、けして忘れてはならないと肝に刻んだ次第です。



盆栽

庭園が出来てから何百年もたつと、そこにある木は育って元の姿はなくなると思えるけれど、ちゃんと手入れしている名園は500年ぐらいでは変わらないそうです。

庭師は代々育たないように手入れしているので、風格が加わることがあっても、当時のまま保つそうです。

その技術が盆栽に生かされていると聞きました。

ルナール

作家ルナールが
「目が見える。耳が聞こえる。体が動く。気分も悪くない。有難い。人生は美しい。」
このような言葉を遺している。

あれもこれもと欲するより、いまある恵まれていることに感謝するほうが、幸せになれると思う。

豪華な作品展

九州、いろはにほへ陶「小林牧牛のお地蔵様館」の作品展を、無事終えることができました。
http://yufuin-tsukahara.com/shop_gallary/006.html

今回は大変贅沢をさせていただいた作品展となりました。
初日は奥湯布院の高級リゾートホテル「無相荘」に招待していただき、夜は料理屋で旨い料理と旨い酒をご馳走していただき盛り上がりました。
http://okuyufuin.net/

そして、帰宅の前日は、四重奏楽団の生演奏を聞きながら、お客様との食事会で美味しい料理を頂き感謝感激の湯布院塚原高原の四日間でした。

梅雨

今日、関東地方も梅雨に入りました。

この「梅雨」の語源は、梅の実が「つはる(熟す)」から転じて「つゆ」になった
とか、物がカビる「つひゆ(そのなわれる)」からでていると言われてます。

あの頃

今日の新聞に、立川志の輔さんの言葉が載っていた。

「すでに家庭を持っていて、サラリーマンを辞めちゃって、そのうえ落語家と
してその素質があるかどうかも分からず、他の若い弟子志望者より十年以上遅れのハンディ。
頑張ろう。」
だから、僕にはもう後がない。

自分自身と重なり、あの頃のことが鮮明に思い出された。

リストラで会社を辞め、陶人形作家の道に入ったのが40代前半、プロの
芸家はもちろん周囲の誰もが絶対無理だと言った。
悪いことを言わないから止めろとも言われた。
僕の持っている武器は、サラリーマン時代に養った経理、資材、営業だ。

けして大げさではなく死んでもいいという覚悟でやることにした。
過労で死んだらこれが運命と諦める決心がついた。
1年364日、朝6時30分から夜中3時まで働いた。
1月1日だけは初詣で休みを頂いた。
こうして出来上がった陶人形がたまると、全国に取引先を求めて飛び回った
この世界のことは何も分からなかったので、いろいろ騙されたが現場がえを教えてくれた
むしろ騙された悔しさがエネルギーに替わり、いつ倒れてもおかしくない肉体を元気ずけることができたように思える。

やがて、新聞、雑誌、テレビに作品が紹介されるようになると、デパート、ギ
ャラリーから取引の申し込みが入るようになり、朝から夜中まで仕事をしても間に合わず3年待ちがあたりまえとなった。
無茶苦茶なことを3年続けたが、僕はこの間に運命を好転させることができがする。

人間、死ぬ気で頑張れば、何とかなると分かった。
過去の頑張った自分がいるから、今の自分が存在する。

ありがとう。

毎日、毎日二十年近く土の仏さまを、自分なりに作り続けてきたのに還暦をすぎて、「なんや、このザマは、どうもしょうがない」。
自分の手でひねりあげた仏さまに、よしあしをつけるすべもないが、誕生してくれて「ありがとう」とさすってあげる。

小林 牧牛の陶人形展
会期:平成24年6月27日(水)~7月3日(火)
開場:日本橋髙島屋 7階 クロスロードセブン
    
東京都中央区日本橋2-4-1

日本橋髙島屋の個展が終わりました。

お陰様で沢山の方が、ご来場くださいました。

毎年毎年10年以上も来て下さる方も大勢いらしゃいます。
都合がつかず、どうしても行くことができないと、お手紙をくださった方もいらしゃいました。

僕にとってのお客様は、もはやお客様を通り越してご贔屓様です。
一度に沢山の方がご来場下さって、気がついたときには帰られてしまい、ろくろくお礼も出来なかった方が何人もいらしゃいました。
大変申し訳なく思っております。
本当に本当に感謝しても仕切れない個展でした。

ありがとうございまし

詐欺師に出会いました。

個展会場に全く面識のない、身だしなみの整った老人が現れ「先生の作品はすばらしい」と言うなり、いきなり妻と横浜で待ち合わせしているが、腹をこわしすぐに静岡に帰りたいが、財布を妻に預けてあるので15000円ほど帰りの電車賃を貸してくれないか。と唐突に言われた。
子供でも怪しいと感じるが、左手がピックピック痙攣しており80歳過ぎと思われる老人が哀れと思った。
こんなことをしてまで生きてゆかねばならないのかと、哀れを通り越して可哀想になってしまった。
騙されて貸すことにした。

「明日、妻が必ず会場まで返しに来る」と礼も言わずに帰って行った。
もちろん、返しには来なかった。

肉体は歳を重ねていても、魂は幼いままの人がいる。
老人を見て、人生の重さを感じた。

無常といい、永遠といい命のやりとりのせつない尊さよ。

干支

今年も来年の干支を考える時期となりました。

まだ早いと思われるかもしれませんが、毎年300個ぐらいのご注文を頂くので個展の準備の合間に少しずつ造作をしていかないと間に合いません。

まず、どのような造形にするのか頭を悩ますのですが、今年は迷わずに決まりました。

ある日、仏間に蛇が現れ奇跡が起こりました。
福徳を頂きました。

その蛇を作らせていただくことにしました。

皆様に福蛇のお福分けをお届けしますので、お楽しみに。

三悪

仏教では怒り・貪り・愚痴を三悪というそうです。

愚痴は「グチを言う」のグチではなく愚かさ、無知という意味です。

この教えを聞いたとき、何故、無知故の愚かさが悪なのか理解できませんでした。
知らないことなので、仕方がないと思っていたが、無知ということは悪い行為をしていても、本人は分からないのですから歯止めがきかず、地獄に堕ちるまでとことんやり続けてしまいます。
それ故、三悪の一つになっていると理解できました。

ニュース等で「いじめ」が連日報道されているが、いじめている加害者は無知のため罪の意識がなく、どんどんエスカレートしてゆき、やがていじめ相手を死にまで追いやってしまう。
つまり、仏教でいう「愚痴」なのです。
地獄に堕ちる前に誰かが悪だと分からせてあげることが必要です。
歯止めがないと、限りなく不幸の連鎖が続いてゆきます。

悪いことだと気づかずに、悪行を繰り返しているほど、愚かな者はいない。

言葉

仏教学者の曾我量深が、次のように言っている。

「言葉のいらぬ世界が仏の世界、言葉の必要なのが人間界、言葉の通用し
ないのが地獄界」

野田首相は、国民の声を「大きな音だね」と、言っていたとか。

合掌

日本人は仏教徒ではない人でも自然に手を合わせる。

仏像の前では、誰でも手を合わせる。
僕の祖母は、毎朝東の空に向かって手を合わせていた。
なぜ、手を合わせるのだろう。
「右手は相手の心、そして左手は自分の心」を合わせて相手の心とひとつにする。
ということ。
手を合わせる相手は、人であったり石であったり木であってもいい。

全てに尊敬と感謝の気持ちを忘れないためにも。

バイオリスト

今日、天満敦子さんというバイオリニストが演奏している、望郷のバラードをテレビで聴いた。

成熟した大人が未熟な子供に対する大きく暖かく包み込む愛を感じた。

少欲知足

人間社会は、いつの時代も一部の特権階級が甘い汁を吸って、庶民は苦い汁を吸わなければならないようにできている。
世の中はそうなっているからしょうがない。

だからといって、自分1人の力で世の中を良くしようと考えても、そう簡単にはいかない。

それならば、ブータン国民のように少欲知足、つまり欲望を少なくして足を知る心を持ったほうが、穏やかに生きてゆくことができると思う。

武帝と達磨

ぬるま湯につかっているいるような世の中だけれど、ふっと「達磨と武帝の対話」を思い出した。

梁の武帝
「私は仏法興隆をはかり、数々の寺院を建立、数知れないほど僧侶に供養してきたのだが、どんな功徳があるのだろうか」

達磨
「無功徳(むくどく)」

武帝
「真、俗二諦(二つの真理)を超えた仏教ぎりぎりの最高の真理はなにか」

達磨
「凡とか聖とかの区別もなく、凡として捨てるべきもなく、聖として求むべき毛一筋もない」

武帝
「なにもないというのか。 ならば私に相対している、インドで名をなしたと伝え聞いている、おまえはいったい何者なのだ」

達磨
「しらん(不識)」

何でも、調子に合わせるのはたやすいが、相手が誰であろうと「いいえ」と一言いえる勇気をもつことは、なかなかできないものである。
 

イスラム教

イスラム教をぼうとくする欧米の作品に端を発した混乱が、まだ繰り返されている。

実はイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三つの宗教は、それぞれの神の名をイスラム教は「アッラー」ユダヤ教は「ヤーウェ」キリスト教は「ゴッド」と呼ばれているが、名前は違ってもみな同じ神なのです。

アッラーもヤーウェもゴッドも神の名ではありません。
「唯一の神」というような意味で、この三つの宗教はそれぞれ宗教独自の教典を持っているとともに、「旧約聖書」を基盤としているのです。

個展を終えて

先日、白石蔵王にあるギャラリー美器さんに行ってきました。
帰路は台風の影響で東海道線が途中で止まり、タクシーでやっとこさっとこ帰宅できたのですが、こんなことも吹き飛んでしまうくらいに、皆さんからパワーを貰ってきました。

東関東大震災後初めての個展で、開催しても結果は出ないだろうと思ったのですが、とにかく皆さんの顔を拝見しその後の話をお聞きできたらとの思いで行ってきました。
津波で家が壊れ再建した方、ビルが壊れてしまった方、引っ越しをされた方、皆さん本当に大変な思いをされているのに、くよくよしないでポジティブなので私がパワーを頂き、本当に開催して良かったと思える作品展となりました。

どんな生き方をしていても、人間には必ず苦節が一、二度むこうからやってくる。
その後、どんな姿勢で生きてゆかねばならないか学ばせて頂いた。

平成25年 干支


弁財天のお使いとして、財運をもたらす白蛇ですが、こんな不思議な経験をしました。

ある日、左手首に脳天に突き刺さるような激痛が走りました。
それから動かすだけでも痛く、ガマンできずに病院に行ったところ、診断は腱鞘炎。
医者曰く、完治まで長くかかるので、仕事も休んだ方がいいという。
それから何日かたち、仏間の中央に蛇がとぐろを巻いていた。
こんなことがあってから数日が過ぎた頃、痛みが日に日になくなり一週間ほどで完治してしまった。

これも、蛇のご利益だと信じている。

日本の国

テレビニュースで、東関東大震災で被災した人々に話を聞いていたが、  「お年寄りが病院に行きたいけれど交通手段がなく行けない。 早急に道路を造って欲しい。  商店がなく毎日の生活が大変だ。  若い人に笑顔を戻すためにも仕事が必要だ。 身体の具合が悪いが病院がない。」と声をあげて訴えていた。

被災地の復興事業予算消化が5割にも達していない。
復興に使われるべくお金が、全く関係ないところで使われている。

原発に反対する人々が、首相官邸の前で声をあげて訴えている。
野田首相は「大きい
が聞こえるね」と言った。

前回でも書いたかもしれないが、「仏の世界は言葉がいらない。人間の世界は言葉を必要とする。地獄の世界は言葉が通じない」

日本の総理大臣は、国民の声が完全に「音」としか聞こえなくなってしまったようだ。

未知なる経験

社会福祉法人 幸清会さんのお招きで、今月の25日から27日まで北海道に行ってきました。
あっという間に帰る日を迎えたのですが、なにか外の様子がおかしいのです。

夜明けの薄明かりのなかカーテンを開け窓から外の様子をうかがうと、雪が上から下に降っているのではなく真横に激しく流れている。
何しろ雪は一年に一度 見るか見ないかで生活しているので、こんな凄まじい光景は生まれて初めてである。
これから、数時間後に電車に乗り千歳空港まで行かなければならないので、不安になりテレビをつけるが電波状態が悪く途切れ途切れにしか見ることが出来ない。
そうこうしているとプツリとテレビの映像が切れ、電気も水も暖房も全てが止まった。
たぶん電車も運休になるだろうと覚悟した。
困った、明日は予定があり休むと仕事にも支障がでる。

そのとき、ドアのノックする音が聞こえ幸清会の職員の方が、天候の回復する見込みがあるので空港まで車で送ってくださるという。
ひとつまちがうと生命の危険にさらされる猛吹雪の中を、悪いと思ったが有難いご好意に甘えさせていただくことにした。
見渡す限り真っ白で、横殴りの雪で視界も最悪である。
でも北海道で生活されているだけあって、雪道の運転はうまく不安はない。
途中、車が路肩に突っ込んでいたり、雪の重みに耐えられず折れてしまった木が道路をふさいでいた。
こんな経験は初めてだし、これからもないと願う。

空港にやっとこさっとこで到着すると、案の定滑走路が一時封鎖され欠航となった。
とりあえず夕方の便に変更し様子を見ることにする。
変更した便も遅れに遅れたが、なんとか羽田に到着することができた。
最終電車に間に合い夜中にようやく帰宅できたが、こんな災難に遭遇しても北海道が嫌いになるどころか、いい土地だと思うし出逢えた人も好意的ですばらしと感じる。
こんな刺激的で退屈しなかった旅はないと思えた。

空港まで危険を冒して送ってくださった方が、無事に帰れたか心配で心配で仕方なかったが、無事に帰れたとのメールが届いており 、ホッとしたのか疲れがどっと溢れて数年ぶりに朝まで熟睡できた。



師走

師走は忙しすぎます。

あれもこれも、しなければならないことが一杯あります。
とくに31日はとても大切な日です。
「年神さま」がみんなの家にやってきます。
この年神さまは、すごいパワーを持っていて、みんなに幸福をもたらしてくださいます。
この年神さまをそれぞれの家にお迎えして、お祭りするのがお正月です。

12月31日の夜にやってきますから、31日の夜にお供えをしてお祭りします。
1月1日にお供えで作ったものが「おぞうに」です。

そして、年神さまにお供えしたおもちを分け、年神さまのパワーをいただくのです。
昔はこのおもちが「お年玉」でした。

今年の締めくくりに

明日はもう大晦日。

今年の締めくくりに、福家トシ子さまからいただいた言葉をお贈りします。
「つまずいたおかげで」

つまずいたりころんだりしたおかげで、物事を深く考えるようになりました。
あやまちや失敗を繰り返したおかげで、少しづつだが人のやることを暖かい眼で見られるようになりました。
何回も追いつめられたおかげで、人間としての自分の弱さとだらしなさを、いやと云うほど知りました。
だまされたり裏切られたりしたおかげで、馬鹿正直で親切な人間の暖かさを知りました。
そして・・・・・・
身近な人の死に逢うたびに人の命のはかなさと、いまここに生きていることの尊さを骨身にしみて味わいました。
骨身にしみて味わったおかげで、人の命をほんとうに大切にするほんものの人間に裸で逢うことができました。
一人のほんものの人間にめぐり逢えたおかげで、それが縁となり次々と良い人たちに沢山めぐり逢うことができました。
だから、私わりにいる人たちは、みんなよい人たちばかりなんです。

あけましておめでとうございます。

2013年の新しい年が始まった。

元日の朝は絶景の富士の嶺を仰ぎ見て、子供の頃よりお参りしているお宮さん、お寺そしてお地蔵さんに新年のご挨拶に行く。

それだけで、清々しい気持ちになる。
今年はとても忙しい年となるが、精一杯皆様に喜んでいただける陶人形を作り続けます。

摩訶不思議な神仏

神様、仏様の物差しは、人間からみれば筋が通らない勝手気まま。
摩訶不思議なのである。

私たちの理論や物差しではデタラメに見えてしまう。
デタラメにみえるもの、まさにそれ故に神仏の心、慈悲だと云うことだといえる。

不思議を辞書で引くと、「解決がつかないこと」と解説されている。
それ故に、神仏を100パーセント信じる気持ちが必要なのです。

精霊が住む森

草津の中沢ヴィレッジに精霊が住む「ベルツの森」がある。
森の中、清潔で美しいと感じた。
森の中を吹き抜けてゆく、ひんやりした風も気持ちいい。

森の案内人に森の主だという大きな木を紹介してもらう。
その木にそっと手を添えて挨拶する。
森に「お前も仲間だ」と認められた。
別に悪さばかりして、生きてきたわけではない。
でも、ずるかったり何かを妬んだり、恨んだりしたことがなかったわけではない。
それなのに森と森の精霊は「仲間だ」と言ってくれる。

森を出る頃には、子供のように無邪気になっている自分がいる。

節分と鬼と豆

鬼は古来中国では肉体をもたぬもの、鬼神であり姿が見えぬもの、不気味なもの、陰なるもので陰を「おく」と発音するところから「おに」とよみ、鬼を「陰」または「隠」とも書きました。

ところで、なぜ節分に豆まきをしたか、一説によると鬼は生と死の境界上に存在し、時々人が生きる世界に姿をあらわし悪さをすることがある。

豆も境界上の存在で、古代人は穀物を直火で炒って食べたが、豆はゆでて食べていた。
でも、豆を炒って火で水分を追い出すことで、姿が見えない陰なるものが蘇らないように芽が出ないようにして、陰なるものを追いだした。

毎年節分になると「鬼は外、福は内」と言いながら、炒った豆をまく「おにやらい」という行事となる。

白色白光


梅の花が咲き始めました。
白い花が可憐でいい香りがします。

阿弥陀経という仏教経典に、極楽浄土には美しい池があり、その池に蓮華が咲いている。
青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光をはなっており、何ともいえずすばらしく香りがいい。

当たり前のことだが、実はあたりまえがすばらしいのではないか、と思う。
毎日食事ができ、仕事ができこうして生かされている。

宗教が実現しようとしている世界は、ごくごく当たり前の世界なのです。

表紙の陶人形


矢野宗宏先生の著書に、僕の造作した陶人形を載せたいと出版社から電話があった。

もちろん快諾したのだけれど、よくよく聞くと事後報告で載せたとのこと。

今日、書籍が届き表紙を見たら、題字とあまりにもピッタリでおもわず笑ってしまった。

時間

二月は逃げると言われるように、あっという間に過ぎて三月になってしまった。
月日が過ぎ去るのが怖いくらいに早く感じる。

ジャネーの法則は、心理的な時間の長さを年齢と結びつけているが、確かに子供の頃は遊びにしても旅行に連れて行ってもらっても驚きの連続で、全ての体験が心に深く刻まれ思い出になっている。

歳をとると海外旅行に行っても、初めて見る物は感動するが何回か行っている
と、石造りの城を見てもあそこの城と似ているとか、景色を見てもどこかで見たことがあるような景色となり感動が減っていく。
一つ一つの体験が思い出になりにくくなるので、振り返ったときに短かったと感じるのではないだろうか。
良くいうと知識が深まり物事を冷静に見ることができるようになったとも言えるし、悪くとらえると心が歳とともに鈍化しているとも言える。

惚け老人になっても、この世に生まれ出て幸せだったということだけは、心に強く刻みつけておこうと思う。




言葉

60歳をすぎた頃から「できない」という言葉が、恥ずかしく思えるようになった。

もちろん未熟でできないことだらけだが、若い頃と違いかるがるしくこのような言葉が使えなくなった。

過去に何度も修羅場をかいくぐってきたのだから、やってできないことはないという気力だけは持ち続けたいと思う。

血圧

気になることがあり近所の町医者に血液検査に行く。
少し早歩きしたために着いた頃には、汗だくになっていた。

待合室には誰もいなく、すぐに呼ばれ採血をして血圧も測るという。
血圧は174mmHgもあり、医者曰く「今日から薬を飲みなさい。」
僕が「飲まなければいけませんか」と返答すると、医者はご機嫌が悪くなり飲むか飲まないかは自分で決めろと言う。
逆らっても勝ち目はないので、とりあえず処方してもらうことにする。
医者の顔が若干穏やかになり、10日ごとに通院するように言われた。
シメシメこれでお得意様が一人増えたと思ったかどうか。

帰宅し落ち着いてから再度血圧を測ると、167/101mmHgだった。
薬は捨てて自力で下げることにする。
思い返すと、作家になってから20年ぐらいになるが、運動はせず毎日座り放しの生活で、食事も辛い物が好きで醤油もダブダブつけないと気が済まない。
このような生活習慣で血圧が上がったのかもしれない。

まず、生活習慣を変えることから始める。
毎日30分歩き、食事も減塩と腹八分目とする。
その甲斐あって、朝はほぼ正常となり夜も150/80mmHg前後ぐらいに下がった。

僕が子供の頃、父親も血圧が高く190ぐらいあったようだ。
その頃は最高血圧が160mmHgが標準だったが、だんだんと130mmHgにまで引き下げられた。
その結果、薬品業界は儲かり、基準作成委員の多くが薬品会社から巨額の寄付金を受けたと何かの本に書いてあった。
うさんくさい話である。

年齢を重ねてくると、血管も細く弾力がなくなってくるから、多少は血圧が高くならないと体の隅々まで血が行き渡らない。
だから、今の血圧が自分にとって正常だと思うことにして、毎日の運動と減塩生活は続けていくことにする。

医者のお得意様だけにはならないように気をつけなければならない。

世界一のサービスと技術

牛肉を食べないヒンドゥー教徒と豚肉を食べないイスラム教徒が一緒に食事をしている。

互いに相手が食えない牛肉と豚肉を食べても気にしない。
自分は自分、他人は他人なのである。
もし、日本人がこの食事に加わったら牛肉と豚肉が入っていない料理を注文すると思う。

日本人は他人のことを気遣う民族なのです。
世界で最高レベルのサービス、技術を生み出すことができるのは、このことが日本人の心に根付いているからだと思う。

技と心

僕は技だけでは一流にはなれないと確信している。
技と心のバランスが大切です。

テレビの和風総本家をよく見るが、やはり日本の職人は世界で一番だと感じる。
昨日、彫り師と刷り師の職人がでていたが、どちらがいなくともお互い困る存在である。

ある日、彫り師が高齢のため引退すると刷り師に告げる。
それを聞いた刷り師は何も言わず「お酒を飲みましょう」と一言。
感動した。


大阪髙島屋の個展が終わりました。

今年も大阪髙島屋の陶人形展を無事終えることができました。

僕が作家家業を続けられるのは、沢山のごひいき様の支えがあるからです。
本当にありがたいことです。
今年もつくづく感じられる個展となりました。

なれない立ち仕事に、膝が痛くなり開催中に3回もマッサージに通いましたが、よくなりません。
肉体の老化を感じる今日この頃です。

オリのように

僕が造作するお地蔵さん、仏さん、わらべ、鬼さん、動物どれをとっても上手いとは思っていない。
この甘さ、弱点が自分の味だと思えるようになった。

僕のなかにオリのように解決不能の事柄がたまっていきますが、でもそれでいいのだと納得してます。

ドイツ・オーストリア旅行



白い部屋で目を覚ました。

ベットから見上げる高い天井も白、壁もブライトな白。
誰であろうと、自宅で眠る日常に慣れてしまうと、旅の宿で迎える非日常の朝を脳が一瞬戸惑いをみせることがある。
数秒間「ここはどこだ」とぼんやり昨日の流れをたぐり寄せ、ハイデルベルクに泊まっているのだとわかり一息つく。

今日はハイデルベルク城を散策しローテンブルクに向かう。
朝から大雨それに風と寒さに身が縮む思いだ。
二度目の訪問だが、環状市壁に守られた昔のままのたたずまいに、あわただしい現実を忘れ町のなかを散策する。
あまりの寒さに夕食は、聖ヤコブ教会の近くにあるJapanレストラン「LOUVRE]に行く。
まず、熱燗で体を温める。
オーナー兼シェフは日本人のご夫婦で、スタッフも日本人でとても感じがよく料理も旨い。
なにか身体も心もホッとする。

翌日は快晴でロマンチック街道をドライブし、ディンケルスビュールを散策、美しいロココ様式の教会ヴィース教会を見学。
以前訪れたことがあるが、あまりの美しさに感動したことが蘇る。
そして、王城の村ホーエンシュバガウで世界的な王城ノイシュバンシュタイン城を見学し、フュッセンへ。

4日目はザルツブルクへの途上に、景色は川と渓谷、肥沃な田園、森、牧場そして最後にアルプスの山々と変化し美しい景観がバラエティ豊かで飽きることがない。
バイオリン作りの郷ミッテンヴァルを散策しミュンヘンへ。
そして、ザルツブルクにて宿泊。

翌日は雨。
中央駅から旧市街地へと向かう途中にあるミラベル庭園は、「ドレミの歌」のフィナーレになったところ。
美しい花壇や噴水、石像などが登場する庭園を抜けて、ザルツァッハ川を渡りモーツァルトの生家を見学しゲトライデガッセ周辺で買い物をする。
その後、美しい湖水地方へ行くが雨で残念。

最終目的地ウィーンで二連泊する。
シェーンブルン宮殿は16人の子供を産んだ女帝マリア・テレジアによって、今日のような豪華絢爛な姿になったといわれている。
旧市街地を散策するが、雨と風と寒さでカフェでお茶を飲むことにする。
デーメルに行ったが、ロココ調の優雅な内装は貴族のサロンのような雰囲気でとてもよかった。
注文したザッハートルテ、アインシュベナーもとても旨く、30分待った甲斐があった。

日本人は経済成長とともに、時の流れを加速し続けてきた。
縄文時代に比べ、今は時間が40倍も速くなっていると新聞にでていた。
たまには、ゆっくり街を散策しカフェでゆっくりした時間を努めて持つことも現代人には必要ではないかと思う。

日本橋髙島屋での個展を終えて

今年も日本橋高島屋での「小林牧牛の陶人形展」が、大盛況のうちに終えることができました。

本当に沢山の方が、ご来場してくださいました。
予定を変更してまで来てくださった方もいらしゃいました。

つくづくお客様が支えてくださっていると感じられた個展でした。
心から感謝申し上げます。

夏本番

毎日、猛暑が続き熱中症になりそうです。

この暑さを解消するには、西洋式解決と東洋的解決の二通りあります。

前者はエアコンで部屋の気温を下げる。
後者は窓を開け風を入れて、風鈴をかけて涼しげな音を聞く。

僕の子供の頃は、縁側で井戸水で冷やしたスイカを食べ、雨戸を開け放して
蚊帳で寝ていた。

今は西洋的な家で、地球温暖化が進み雨戸も開けて寝られない。
便利になったけれど、心のゆとりがなくなったような気がする。

福の神・貧乏神

福の神も貧乏神も同じ神様。

私たちの心根次第でどちらにも変わる。

政治が変わろうとしている。
国民にとって福となるか災いととなるかは、政策次第である。

二人展を終えて

暑い暑い二人展が終わりました。
でも、とても楽しい展でした。
猛暑の中、遠路はるばるご来場してくださった方、汗を拭き拭きご来場してくださった方、ありがたくお礼申し上げます。

銀座のギャラリーは、細い路地を入ったところで知る人ぞ知るで、新聞でも紹介されるような芸術家、誰でも知っているような有名人もここで展覧会を開催しているとのこと。
さすが銀座なのだという気がしました。

お客様に混じって女優、評論家、芸術家の方々が訪れ、お茶を飲みながらいろいろ話を聞かせてくれました。
別世界をちょっとだけ垣間見たような、不思議な展覧会となりました。

今回ご一緒した芦澤先生には、計り知れないお心遣いを頂き感謝の念で
一杯です。
ありがとうございました。

反省

一年ほど前、新幹線の運賃を貸してほしいと、個展会場に現れた老人に欺されたふりをしてお金を渡した。

80歳は過ぎていると思われる風貌に、この年になってもこのようなことをしなければ生きてゆけないのかと哀れに思ってしまったからである。
この人物が他の個展会場でも同様な詐欺を繰り返していると噂で聞いた。

あのとき浅はかな同情でお金を渡したしまったことを悔いいている。
肉体は老いていても、魂は幼いので罪を重ねてゆく。
無知な魂には同情ではなく、毅然とした態度で接しなければならないと反省している。

富山に行ってきました。

正直にいうと僕は人間関係のしがらみや、上下関係が苦手である。
一日中アトリエにこもり陶人形を作り続けているからかもしれない。

でも、けして人が嫌いなわけではない。

今、富山の「器さろん恵」で個展を開催していてるのでお邪魔してきた。

いつも心のこもった食事会でもてなしてくださり、皆さんと旨い酒と旨い食事、そして楽しい会話でひとときを過ごすことができた。

人つきあいが苦手な僕でも、よき人に出会うとまた会いたくなる。

ありがとうございました。

今日の新聞記事に、汚染ゴミの保管についての記事がでていた。

放射能を帯びたごみは農家の軒先などに置かれていて、近くの住民から苦情がでているという。

東日本大震災直後は、「絆」という漢字にあふれていた。
絆とは相手の悪い運命でも引き受けることであり、長い年月継続することであると思う。
 
近頃、「おもてなし」という言葉が流行っているが、言葉だけで終わらせないでほしいと願っている。

毎年

毎年この時期になると、あれもこれもと慌ただしくなる。

これをやれば、あれが間に合わないと途方に暮れるが、若い頃はどうすれば良いかと考え込んでしまったあげく、手が止まり無駄な時間を費やしてしまっていた。

忙しい時ほど、何も考えず何でもいいから手を動かすこと。
それから、こうして息抜きをすること。

力まかせに受けるのではなく、かわす技を覚えたのも歳のせいだと感じる。

愚痴

歳を重ねるとグチぽくなるといわれているが、気がつけば自分も一人テレビに向かって愚痴っていることが多くなった気がする。

ある本に自分の体力の減退や気力衰退に原因がある場合が多いとでていた。
不満を自分の中で消化しきれないと、すぐにそれを社会的理由に帰し社会全体に報復するという形で解消するのだという。

一人納得した。

日展

日展が有力会派に入選数を事前に割り振る不正が行われていた。
という記事が新聞にでていた。

業界の人間なら誰でも知っているので、何を今さらといった感である。

僕がこの世界に入って、いろいろな団体の公募展に出品していた頃、日展はどうかとある作家に聞いたところ、「入選したければお偉い先生について、お金を使わなければ無理だよ」と言われた。
太った鼠が小さい鼠を蹴散らかすような日展には一度も出品しなかったが、僕が所属した美術団体は偉い先生にゴマをすることなく、お金を貢ぐこともなく入選はおろか賞まで下さった。

あの頃、厳しい世界に入ったばかりで不安で一杯だった僕にとって、どんなに力づけてくれた存在であったか計り知れない。

歪んでしまっている美術の価値基準を、日本も考えなければんらないと思う。

やってしまった。

腱鞘炎!

以前、左手首が腱鞘炎になって箸も持てなくなり、ドクターストップがかかったが、仏間の中央に蛇が出現し一週間で奇跡的に完治した。

今度は右手首だ。
今回は前回のような摩訶不思議な奇跡が起きることは絶対ないと思うので、自力でなんとかしなければならない。

半年前から手首に違和感があり、市販の湿布薬を貼ったりサポーターを付けたり気を遣っていたのだが、毎年10月頃から猫の手も借りたいぐらい忙しくなる。
それで、ついつい忙しさが優先してしまい、ある日「イタッ!」と感じた時はもう遅しで、手首を動かすと何とも重い痛みがあり力がはいらない。
前回ほどの痛みではないので、ちょっと安堵する。

前回の経験から手首の炎症だけではなく、肘から手首までの筋肉のコリも関係しているので、ここの全てに漢方の湿布薬を貼りテーピングとマッサージをしている。
そのせいか、ほんの少しだが痛みが和らいできたような気がする。

今の待ったなしの仕事が終わるまでは、這いずってでも休むわけにはいかないので、頑張らなければいけない。

誘惑

イエスは荒野で悪魔の誘惑を受けた。
悪魔はイエスにささやいた。

「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」
イエスはお答えになった。
「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」

そうすると、悪魔は次にイエスを高く引き上げ一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。
そして、「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。
もし、私を拝むならみんなあなたのものになる。」と誘惑した。
イエスはお答えになった。
「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕える。」

ゴータマブッタが瞑想していると魔王が現れ、「おまえはいかに慈悲心持っていても、我欲の塊の人々を救うことはできないだろう。
おまえが修行を止めれば、私は必ず協力して全ヨジャーナーの王にしてあげよう」
と誘惑した。
ゴータマブッタは、「去れ」と一括した。

このように悪魔はけして力ずくで脅して恐れさせるようなことはしない。
そんなことをするのは、最下位の悪魔であり選り抜きの悪魔は、人間個人個人の弱点を一瞬のうちの見極めて、そこを誘惑するのである。
しかも、お釈迦様やイエスさまのような偉大な聖人には、国を与えるといったように
その人物の器に合わせて誘惑の仕方を変えてくるのである。

悪魔は権力、金、女等々のえさを使って、「困っている人を、貧しい人を救ってあげればよい、あの哀れな女を助けてあげればよい」と耳元でささやくのである。
悪魔は誘惑した人間が、やがて我欲のためだけに、それらを使うことぐらいお見通しなのである。

そして誘惑に負けた者は、悪魔の言いなりになって階段を調子よく昇ってゆき、あと一歩で登り切るというときに踏み板をはずされて、奈落の底に突き落とされてしまうのである。
これが悪魔のやり口なのです。

美術公募展で賄賂を受け取り、入選させてやるというような悪魔の誘惑に負けた審査委員は、まだまだ自分の器が小さいと心得るべきである。

干支作り

やっと干支作りが終わった。
と、思ったらギャラリーから追加注文が入ったが、これも何とか終えることができた。

ご注文分を全てやり遂げホッとする。

明日から来年の個展準備の続きを始めることができる。

平成26年午年も頑張らなければ!

手の奥に

今日は誕生日です。

この歳になるとそんなことはどうでもいいのですが、
初期の頃に作ったような陶人形を、ご所望されるお客様がいらしゃいます。

写真を見ながら作るのだけれど、同じようには作れません。
手はただ動くのではなく、心の奥に控えている何かが作っているのではないかと思えてなりません。

干支

古代中国では、暦に十干と十二支という記号を用いていた。
この、干と支の記号が年月日、時刻を計るための数詞として用いられていた。

でも、昔の人は愉快な作り話をして、このようなに子供たちに語っていたにちがいない。

昔、神様が動物達に元旦になったら挨拶に来るようにとのお触れを出した時、歩みの遅い牛が、道中時間が掛かるからと一足早く出掛けると、ねずみはそっと牛の背中に飛び乗って行った。

神様の許にたどり着くと誰も来ておらず、牛は自分が一番乗りだと思っていたが、いざ、神様へのご挨拶をしようとした時に牛の背中からねずみは飛び降り、そのまま走って一番乗りになった。
そのため、干支は子年から始まる事になったという話。

僕はどちらかというと、こちらの話が好きだ。

平成26年

あけましておめでとうございます。

今年は今までの殻を破り、自由な発想で驚きを生み出したい。

おどろきのないところに喜びはない。

僕は陶人形作家です。

「陶」の文字には、人を教え導くという意味もあります。

土とご縁ができて、沢山のことを教わりました。
謙虚の大切さも学びました。

そして、土から教わったことが、本にもなります。
「小林牧牛 陶人形の世界」
ぱるす出版より発売されました。

ひな祭り

美しい1対の男女の人形を、おまつりする優雅な行事をもつのは、世界中で日本だけです。

日本の年中行事は、どれもその起源がはっきりしませんが、川で手足を洗い心や体の汚れを洗い清め、厄やわざわいを流したのが始まりとされている。

わが国固有の祓(はらえ)の行事がこれに習合し、その祓の具である人形(ひとがた)を
舟に乗せ流しました。

けがれやわざわいを移した身代わりの「かたしろ」は、川や海に流すので材料も紙や草でつくられたかんたんなものでしたが、次第に精巧なものとなり永久保存され、愛玩や鑑賞の対象として発達したのが、ひな祭りの行事となり女の節句となって現在まで続いてきました。

それでも

毎日毎日世界中でいろいろなことが起きているけれど、
それでも春になれば美しい花が咲く。


大阪高島屋の個展を終えて。

髙島屋大阪店の「小林牧牛の陶人形展」を、無事に終えることができました。

消費税の影響でどうなるか心配でしたが、昨年と同じぐらいの売り上げでホッとしてますが、僕にとって長期間の出張が、身体に応えるようになりました。

でも、会場でお客様と話をさせて頂くと、気がつくことが沢山あります。

これから、このアイデアを形にしてゆくのが楽しみです。

働く

毎日、ウォーキングをしている。

途中、90歳は過ぎていると思われるご老人が、クワで畑を耕していた。

クワはほとんど土にささっていなかったが、この光景を見たとき働く姿が美しく思えた。

64歳になった僕は、腱鞘炎で手首が痛かったり体調が悪くなったとき、そろそろ引退かなと弱気になるときがあるけれど、身体が動く内は頑張らなければという気持ちになった。

働くということは、端を楽にすることだという。

人間の生き方を学んだような気がした。

ウォーキングの途中、庭にバラの花が咲き誇っている家があった。

とても派手やかで、見ていると気分も高揚するが、名も分からない小さな小さな草花は何か心が癒やされる。

我が愛車


人は一生のうちに、どれだけ出会いがあるのでしょうか。
人だけではなく、物との出会いもいろいろあります。

僕が学生の頃、いつか乗ってみたいと憧れていたボルボもそうです。
働くようになって、やっと手に入れた赤いボルボ。
あれから長い年月が過ぎ、ボルボも人間と同じように歳をとりました。

あっちが悪いこっちが悪いと修理工場に行く機会が増えました。
昨年からエアコンの調子が悪くなり、診断してもらった結果、直すには30万円ぐらいかかるとのこと。
そのほかにも、パワーステアリングのオイル漏れもあり、新しい車を勧められたが断りました。

長い間、一緒に過ごした車は魂が宿っているような気がします。
エンジンはとても調子が良く、安心して走ることができます。
何とか直しなおし乗り続けるつもりですが、今年の夏はエアコンなしで我慢するかもしれません。

それでも、我が愛車を大切にしたいです。

和楽

雀が我が家の庭に遊びに来る。

餌を見つけても一人ではとらず、必ず友を呼び集めて食う。

和楽を湛える。

思いやり

うっとうしい梅雨の季節になりました。

雨の日にすれ違うときは、お互いに自分の傘を外側に傾けけることを、傘かしげと言います。

僕の子供の頃は、親の仕草をみて教わるでもなく、自然にそのような仕草をしてました。

混んでいる車内で座ったいる人は、順番に腰を浮かして詰めて一人分の席を空けました。

人混みですれ違うときは、お互いに肩を引いて相手に当たらないように通り過ぎました。

これは、江戸時代からのマナーでした。

日本の「おもてなし」もいいですが、人への「思いやり」も大切にしたいものです。

日本橋高島屋の個展を終えて

会場に来られたお客様から、「かわいいね」と笑顔がこぼれる。

幸せはそうやって、ほんのちいさな想いから生まれる。

ありがとうございました。

青天の霹靂

僕の秘書というべきパソコンが突然壊れてしまった。

僕の真っ白になった頭の中は、「青天の霹靂」という言葉だけになってしまった。

あらゆる記憶は秘書に頼っていたので、どうしたらよいかわからない。

とりあえず、医者というべきパソコン修理業者に、データーの復元を頼んだが、残念ながら

できなかったとハードディスクを交換して戻ってきた。

でも、以前のような優秀な秘書ではなく、赤ん坊のような状態になってしまった。

長年書きためてきた「絵手紙の言葉」も消滅してしまった。

弱気な自分に打ち勝って、この状態を克服しなければならない。

「あるがまま」である。

まずは、この現状を受け入れて、いろいろな資料を探し出して秘書に覚えさせることから

始める。

本当に困った!

この苦境を打開しなければいけない。

パソコンは使うから壊れるのではなく、使い方が下手だから壊れるのだと反省している。

災難からは逃げ出さずに立ち向かうことが、災難を乗り越える一番の方法だと思う。

パソコン

パソコンはあまりにも生活に入りすぎてしまった。

そういえば、最近辞書を引くこともなくなった。

なんでもキーボードをたたくだけで知ることができる。

だから、ついつい頼りすぎてしまった。

せめて人付き合いはアナログでありたいと思う。

無縁社会

最近、未成年者が友人を殺害して体を切り刻んだ事件があり大変驚きました。

僕の子供の頃は、子供が人をあやめるなどということは、想像もしませんでした。

近年、子供の規範意識が低下しているためだと思う。

自分自身と家族、他人そして地域社会のつながりが喪失しているからでしょう。

でも、他人とのご縁を結ぶことで、このような惨事を防ぐことになると思います。

十五夜お月さん

今夜の月見の舞台は、煙るような曇り空。
厚い雲の向こうで、姿の見えない月が輝く。

現代人は、月見は晴れの晩のものと決めつけがちだが、古人はいかなる月をも愛で、それぞれに名前をつけた。

今宵のように雨が降り月は、見えないのに空がほのかに明るく風情ある様を「雨月」と呼んだ。

散歩途中で

秋になりたくさんの花が咲いている。

背丈の低い花は上を向いて、背丈の高い花ははこっちを向いて咲いて、周りの人を幸せにしてくれる。

なんだか嬉しくなる。

平成27年の干支


羊は古代には山の神とされ、めでたいことの象徴とされました。

来たるときも、よき年となりますことを祈ります。

単純

暑かった夏も過ぎ、いつの間にか木の葉が舞い、冬の気配が濃くなりました。

日本には「四季折々」という言葉があるように、春夏秋冬の季節がありますが、実は自然界においては単純に暑い寒いしかありません。
暑さと寒さが混ざり合う課程で、春と秋が生まれるのです。

そう考えると、人生に降り注ぐ現象も深く掘り下げてゆくと単純なのですが、自分自身で複雑にしているのではないのでしょうか。

作品

不思議なもので、大変な思いをして出来上がった陶人形は、あまりよくないのです。

もうできてしまったと思えるような人形は、とても満足できる仕上がりとなります。

傲慢になった日本人

もういくつ寝るとお正月ですね。

皆さんも、神社、仏閣にお参りに行きますね。

そのときに、神様仏様に向かってお賽銭を投げつけて、あれが欲しい、これが欲しいと要求します。

こんなことを自分にされたら、いい気持ちはしませんね。

お願いをするのではなく、感謝しなければいけませんね。

2015年

あけましておめでとうございます。

昨年は
たくさんの方にお世話になり、
たくさんのお客様や友人たちと楽しい時間を過ごさせてもらい、
たくさんの素敵な方々との出会いやご縁をいただきました。

今年もよろしくお願い申し上げます。

お屠蘇

皆さんお屠蘇を飲みましたか。

正月の年明けを祝って飲む延命長寿の薬酒を「屠蘇」と言うそうです。

正月に「屠蘇」を飲むことは、一年の家内安全、無病息災や幸福を願ってのことです。

「屠蘇」を飲むことにより、邪気が払われて寿命が延びると言われるので、新年のお祝いには欠かせないものです。

気づき

年末から右脇腹が痛みだし、だんだんと痛みの強さが増してゆき、ナイフで突き刺されるような痛みになった。

我慢できず一月一日は、お宮参りではなく病院に行くことになった。
研修医しかいなく、CT等で検査したが分からず、とりあえず痛み止めの薬をもらう。

ネットで調べところ帯状疱疹だとわかり、休み明けを待ち皮膚科で受診した。
この病気がこんなに痛いとは思いも寄らなかった。

普段から一日一日、何事もなく過ごしてゆくことが、一番の幸せだと分かっていたつもりだったが、人間の心というものは、そうしたものだということをハッキリ理解するには、痛みとして受けなければ、分かったような気持ちで終わってしまう。

此の痛みがあったらこそ、ハッキリと健康の大切さを噛みしめることができた。

この世は、体験を通してハッキリ理解できた時、自分の心の扱い方も自然に分かる知恵がわき、その知恵にしたがってれば生きる上での、さまざまな苦悩から離れることができるのだと思う。

同じ神様

イスラム教、キリスト教、ユダヤ教は、名前は違っても同じ神様なのです。

ユダヤ教はヤーウェ、キリスト教はゴッド、イスラム教はアッラーと言いますが、此の名前は神の名前ではなく「唯一の神」というような意味です。

キリスト教、イスラム教は、ともにユダヤ教から生まれた宗教なのです。

三つの宗教は「旧約聖書」を共通の聖典としています。
ユダヤ教は新約聖書を認めていないので旧約聖書だけです。
キリスト教は旧約聖書の他に新約聖書を作りました。
これはキリスト教だけの聖典です。
イスラム教の聖典はコーランです。
これはユダヤ教、キリスト教は認めていません。

それぞれの宗教は、独自の経典を持っていますが、ともに「旧約聖書」を共通の基盤にしているのです。

足の裏

「足の裏」と言っても、お釈迦様の足の裏の話です。

お釈迦様は、扁平足だと知ってましたか。
扁平足だというと聞こえが悪いので、生まれたての赤ん坊のように土踏まずの部分がへこんでいなくって、全く真っ平らです。

しかも、足の裏には瑞祥(ずいしょう)と言われる、めでたい印の模様があります。

また、足の裏には面白い伝説があります。
お釈迦様が歩かれると、地面から10センチほど上まで足をおろすと、足の裏の模様が
地面に線彫りされるというのです。
しかも、その足跡の中に入ると非常に心地よく、虫が飛び込んできます。

此の心地よさは一週間ほどなので、虫たちはお釈迦様の足跡を追いかけていたと言うことです。

それから、お釈迦様が石の上に立って説法されると、石の上の足跡が残ります。
これを拝むと自分の罪や汚れが清浄になり、安楽な生活が送ることが出来るということから、仏足石を拝む信仰が続いています。

2月23日

今日は語呂合わせで、富士山の日です。

我が町の富士山をご覧下さい。


プロ

プロが一番恐れなければいけないのは、その存在を忘れられてしまうこと。

だから、いつも刺激を与え続けられるように努力してゆかなければならないと思う。

個展が始まります。

今年も個展が始まる季節となりました。

準備をして作り上げてきましたが、不安と期待が入り交じった何ともいえない気持ちは、昔から変わることがありません。

個展を成功させるには、まずお客様に喜んでいただき感動してもらえるような個展でなければいけにと思ってます。
お客様に喜んでいただける作品作りを杖にして、一歩一歩歩んでゆきます。

好きを超えて楽しみを超えて造作した陶人形を見にいらして下さい。

https://www.rexw.jp/object.php?page_id=82407&update_date=1422431631

生きる道具

僕がこの世に送り出されるとき、生きる道具として陶人形造りが与えられた。

幸せの共有

絵手紙をだして「ありがとう」と返事をいただく。

幸せの共有を感じる。

天才ではないから

僕が20年間プロとしてやってこられたのは、陶人形造りが飯より好きだと言うこともあるが、天才ではなかったからだと思っている。

作っても作っても理想とする人形が作れない。
一歩一歩階段を上って、どこまで極められるか努力し続けるしかなかったからです。

不安

作家家業を始めた、のるかそるかの三年間は将来に対してあまり不安ではなかった様な気がする。
毎日睡眠三時間で休みは一月一日の一日だけ、なにかにとりつかれていた様に一生懸命頑張っていたから心配するだけのゆとりがなかったのだと思う。

だんだんと軌道に乗り、少し余裕ができた頃に将来の不安がでてきた。
守りの姿勢が入ってしまったのかもしれない。

今でも個展は、僕にとって怖く不安で何ともいえない気持ちになりますが、お客様に喜んでいただきたいという一心でやり続けている。

今年も日本橋高島屋での「小林牧牛の陶人形展」が開催されます。
7階クロスロードセブン
6月24日から30日までやってますので、お時間がありましたら遊びにいらして下さい。

日韓問題

世論調査で日韓がうまくいっていないとの結果が出た。

なぜ、これほどまでの対立が続くのかというと、日本人と韓国人が知と意によって作り出した相対観念の所産だからです。

相対感があるため人びとは己を失い、争いの種を蒔く原因を作っていくので、此の意識を取りのぞくことが必要です。

商売とは

商売とは自分の得になることばかり望んでいると、お客さんが損をする。

お客さんが得をするようにしなければいけないと思う。

政治

まるまると肥えた政治家が、新国立競技場を建設するにあたり、たった2520億円だと言った。

年金だけでは生活できず、自ら命を絶つ人がいる。
パンを求めて飢えに泣く国民をつくったのは政治です。

政治というものは、いつの時代であっても、一部の特権階級のために大勢の民衆を痛めつける。
金持ちはまるまると太らせ、貧乏人をやせ衰えさせるのが政治です。
国民がみな、政治家より偉く見られる日が訪れることを期待したい。

ターニングポイント

今年の猛暑は昔の暑さとは違う。

発展途上国と呼ばれている国は、工業廃水を川に垂れ流し、それがみな海に流れ込んで海を汚している。
大気も汚れマスクをしなければ健康を害する生活をしている。
地球温暖化のCO2は削減されず、自分さえよければ他人はどうなってもいいという思いが地球の生命を脅かしている。

世界中の人々が地球の未来をどうするのか、今がターニングポイントの時代になったと思う。

幸運

テレビ番組で、萩本欽一さんが「幸運は後ろからやってくるんだよ」と言っていた。
「なるほど、なるほど、本当にそのとおり」だと僕はほくそ笑んだ。

サラリーマンをしていた頃、定年まで勤めて年金をもらえる歳になったら人形作家になると決めていた。
それが、42歳の時に青天の霹靂というよりしかたないリストラにあい、荒海の中に突き落とされてしまった。
こうなったら、生きるか死ぬかの覚悟で人形作家を生業にしようと決めた。
三年間で三日しか休まず睡眠時間三時間で頑張った。
赤いオシッコが出た。
顔面麻痺になった。
腱鞘炎にもなったけれど、病院から帰宅すると休まず仕事をした。
人生計画通り60歳を過ぎてから始めていたら、体力的失敗していたと思う。
あのときの、不幸のどん底だと思える出来事がなかったら、いまの幸福はなかったと確信している。

幸福は「不幸の姿」をして後ろからやってくる。

命のやりとり

蝉が庭の電球に飛び込んだ。

地面に落ちる。
しばらくすると、また最後の力を振り絞り光に向かって飛び込んでゆく。
生きるということは、こういうことなんだ。と
ものいわぬだけに、感動を覚える。

無情といい命のやりとりのせつなさよ。

2016年干支


来年の干支、申の原型が出来上がりました。
この猿は、いま話題になっているコピーではなく、完全オリジナルです。
世界でたった一つの干支です。

ホテイアオイの花が咲きました。


笑顔が嬉しい

物作りっていいなぁ。

見た人が手に取った人が、おもわず笑顔になる。

そんな作品を作り続けたい。

制約

陶人形作りにはいろいろな制約がある。

たとえば、中を空洞にしなければ燃焼時に爆発して壊れてしまうとか、細工が細かすぎると壊れやすい。
複雑になればなるほど制約が増えてしまう。
自由に作れないと感じるかもしれないが、制約があるから面白いのです。
その中で自分のイメージ通りに作ってゆく。
これを面白いと思えないとものつくりは出来ません。

これは、陶芸だけに限ったことではなく、会社つとめでも同じことだと思う。

ナギ・ナミ

イザナギとイザナミの神様が、柱を回りながら矛からたらした土で、日本列島を作り上げたと日本の国産み神話にあります。

イザナギが男性神、イザナミが女性神です。

ナギは海が静かな状態の「凪」、ナミは海面に起きる波です。
古代の人は、男女の性差をこのように表しました。
「ナギ」は心静かな状態、「ナミ」は心動きやすく感情的であることを表してます。

仏の語源

執着がなくなった人を「ほどけた人」と呼び、それが「ほとけ」の語源となった。

いのち

もの言わぬネコ、イヌが感情を表す。
彼らと私は同じ世界を見、感じているのに処分され命を絶たれる。

一つの命を抹消することの誤りを人々は知るべきだ。

努力

何かの本で「努力は人を裏切ることがある」と書かれていた。

僕は違うと思う。
死ぬか生きるかぐらいの努力をしないと、変われないということ。
裏切られたと感じたら、中途半端な努力だったと反省しなければならない。

新年のおめでたい宝船の音

長き夜の遠の眠りの皆めざめ、波のり船の音のよきかな

「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」

回文(かいぶん)、上から読んでも下から読んでも同じ文章。

どこから見ても良き夢、という江戸の遊び心です。

平成28年 初がま

今日は大安。

「牧牛の陶人形工房」の初がまです。

ここに、稚拙なる我が愛しき陶人形を世に供します。

されあれば、一時の憩いに資するもよし、ご使用方自在にして一度この陶人形を召せれば、福徳増進、家内安全、厄難消滅まちがいなし。

諸兄妹のいやます幸をご祈念申し上げます。

一年

2016年も1月9日になってしまった。

一年の計を計る年頭だが、「始めの頃は先が長くありそうに見えるが、終わってみればあっという間」

せめて、心を忘れないようにしたい。

善行は気をつけるべし。

人に物を贈ったり、よい行いをすると、いつまでも心に残ってしまう。

その人から気に食わぬ事をされたりすると、そのことを思い出し「あんな事をしてあげたのに」と怒りが生まれる。

これがいけないのである。

怒りは自分の運を悪くする。

だから、人に善いことをするときは、最も気をつけなければならない。

人に善いことをするときは「徳を一つ積ませていただいた」と思えばいい。

徳を積ませていただいたお陰で自分の運がよくなる。

その人からはすでにお返しを頂いているのだから、何をされても怒りは生まれないのである。

技は盗むもの

技は教えられるものではなく、盗むものだといわれている」
 
それは、自分の技量分しか盗めないものだから、能力を超えたことは教えら
 
れても理解できないから。

お陰さま

「お陰さまで元気にしてます」とか、お陰さまは手紙に挨拶に感謝の意を含めてよく使う言葉です。

ところで、「陰」という文字が使われています。

自分を生かしてくれる見えない存在、気がつかない存在に感謝をする言葉ではないでしょうか。

本日、富士は晴天なり。


真実を見ぬく天才たちの詩


小学5年生が書いた詩です。

ウマオイとケムシ
北風が吹いていた
台所にウマオイがいた
おかあさんが
「寒いからみんな家の中に入ってくるのね」
といって
リンゴの芯をあげていた

数日後
ストーブのそばにケムシがいた
お母さんは
「あっ、はやくつぶして、はやく」
とさけんだ
ちり紙でとってつぶした
ぼくは人種差別のような複雑な気持ちがした

これを読んだとき、ある水族館で大型の魚を飼育するため、餌に金魚をあげていた。
それを見た来館者が「かわいそう」どと苦情を言ったそうです。
あまりにも苦情が多かったから、金魚の代わりにドジョウを餌として与えたら誰も文句は言ってこかなくなったと、何かの本で読んだことを思い出した。

世の中は気がつかないうちに、差別化しているのですね。

歌声

今年初めてのカエルの歌声が聞こえてきました。

やがて大合唱になります。

ゲロ・ゲロ・ゲロ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

うるさいという人もいるけれど、僕にとってはとても心地よいのです。

金と権力

以前、国民の声を「騒音」だと言った日本のトップがいた。

今、金と権力に目がくらみ悪魔に魂を売った知事がいる。

僕は金も権力もないから幸せである。

茶番劇

やっと茶番劇が終わった。

その木戸銭が50億円ときた。

唖然である。

今年も

今年も来年の干支(酉)のデザインを考える時期になりました。

つい最近申を作ったような気がしてます。

不思議なもので、あんまり考えすぎるといい物ができません。

パっと頭に浮かんだデザインが、形になるといい物ができます。

作り始めました

十二支の酉という字は、動物の鶏にあたります。

鶏は予言の動物とされてます。

ギリシャ神話でも、鶏は天上天下の気に感じ、人間が知ることのできない将来のことを予知できると書かれてます。

神社の鳥居は、がんらい神に仕える鶏の止まり木だったのです。

そして、鶏が神のお告げを知らせる使いであることからきたものです。



憤怒

明日も生きたいのに過労で亡くなってしまった人。

異常な残業で疲れ切ってしまい自らの命を絶ってしまった人。


毎日毎日汗水垂らして働いている労働者がいる。

そんな人たちが納めている血の税金が、いい加減な使い方をされている。

前都知事は、自分の気に入れないことを言われると、権力を盾に恫喝していた。

そんな人間が、私はボケ老人となってしまい何もおぼえていませんと、誰か部下がやったことで私には責任がありませんと、女々しいことを言っているのを聞くと憤怒がこみ上げてくる。

落ち葉


吹きまろぶ落葉にしかと大地あり
                               
                               長谷川素逝

厳しい冬が近づいてます。

僕にとって寒い冬は辛いですが、これを乗り越えないと春が訪れません。


至福のひととき


カレンダーも残り1枚となってしまいました。

師走のあわただしい人間界は、あれもこれもやらなければとアタフタしてます。
我が家のボウズは「あっしには関わりありません」とばかりに至福のひとときを楽しんでいます。

20周年記念

12月のポカポカと暖かい日に、古からの友人が作家活動20周年祝いの食事会をひらいてくれた。

テーブルの上に次々と運ばれてくる料理はどれも旨い。

厳選された素材にこだわった料理だと分かる。
小さな店だが、とても雰囲気がよく感激した。

人生の年輪が重なってくると、感動することが少なくなってくるけれど、友人からのプレゼントに感謝しつつ、心豊かに過ごせた一日となった。

心温まるおもてなしに感動した。


平成29年元日の赤富士


こんなに美しい赤富士は初めて見ました。

春から縁起がいいです。

気のゆるみ

この仕事を始めたときから体質が変わり、風邪を全くひかなくなった。

それが20年経ち、気が緩んだのかどうか分からないが、前日まで何でもなかった体調がインフルエンザの菌が体に入ったのか、3日間食べることもできず寝込んでしまった。
食べることのできる幸せ、仕事をできることの幸せをつくづく感じた。

日本一の富士 本日晴天なり


春の神さま

昔の人々は春は太陽の昇る東から来ると考えました。

奈良の東には佐保山があり、佐保姫という春の女神がおりてこられます。

そして、春になれば桜の花に彩られる。

まだ漢字の名前もない、むかしむかしの日本に「幸と恵み」を流す「サガミ(サ神)」という神様が山にいると考えてました。

桜が咲く頃、山から里に降りてきて桜の木に宿りみんなに幸や恵みを与えてくださいます。
サクラのクラは、古代日本語で「神霊が依り鎮まる座」とい意味を持っていました。 

そして、サガミ様が来てくれたことを喜ぶ行事がお花見だっ
たそうです。



悔いはなし

67歳になり指が腱鞘炎になり、体のあっちこっちが痛くなり、人生の終わりに向かって少しずつなにかが変わろうとしている。

20年間手には無理をかけて、むちゃくちゃ頑張ったので、いつか止めなければならない時が訪れようと悔いない。

このような気持ちになれただけでも、今の仕事に就けて本当に良かったと思う。

自営業だから何歳で辞めなければならないことはないので、仕事を半分に減らしゆっくり作陶活動を続けられればと思う。

日本橋髙島屋個展

僕がこの世に送り出されるとき、生きる道具として陶人形造りが与えられました。

でも、それだけでは生きてゆけません。

今回の髙島屋での「小林牧牛の陶人形展」では、本当に沢山のお客さまがご来場下さいました。

初日は電車が止まるほどの雨の中、遠くから来て下さった方もおられました。

僕はこのような方たちに支えられて今があります。

感謝しても感謝しきれない気持ちです。

ありがとうございました。


台風一過


ヒューフューでない。

ピューピュー、ドッドドドドウド、ドドウド、ドドウ

こんな風が吹き荒れていた台風も去り、今日は気持ちのいい秋晴れとなった。

我が家の愛犬

クリス、我が家の老犬です。

クリスが家族となったのは、生後数ヶ月の頃だったと思います。
お腹はうっすらとピンク色で、おもちゃを相手に飛び回っていた。

15歳も半ばとなった今は、白髪が増え片目も白内障で真っ白である。
散歩には行かず家の中を少し歩き、一日のほとんどを昼寝に使っている。

食欲はあり健康だが、困ったことに食事をしながらオシッコをしたり、畳の上にオシッコをしたり、フローリングにオシッコをしたりするようになった。

一番辛いのは、夜は夫婦の寝室で寝ているが、眠りについてから1時間ぐらいすると水飲みとオシッコに起こされる。
さらに、朝方5時ぐらいにまた水飲みとオシッコに起こされる。
僕がその役目だと勝手に決めているみたいだ。

以前は起こされても一晩に一度ぐらいだったが、二度も起こされるとさすがに辛いと感じる。
動物を飼うと言うことは、ただ可愛いからだけではなく、何があっても最後まで家族の一員として面倒を見る覚悟がないと飼えないと思う。

老犬の昼寝をしている顔を見ていると、世話の辛さも忘れさせてくれる。

珍客


今日、珍客が我が家に訪れた。

「おまえさん、なにをそんなに、あくせくしてるんだい。
 なんとかなるよ」

と、言いに来てくれたような気がした。


できた!!!

今朝、何年も挑戦し続けていたものができた。

作ってみると頭のイメージと何か違う。

微妙に違う。

それが、イメージと完全に同じものができた。

偶然なのか、今までの蓄積があったからなのか分からない。

もっと、もっといろいろな作品を作りたくなった。

だが、手は二本しかない。

平成30年

心静かに年が明けて、新年の計を立てる。

今年はこのような新年ではなく、元旦から仕事となりました。

きょうの営みの上に明日の工夫を、そんな新鮮な気持ちで仕事をしなければならないと思ってます。

健康で仕事ができる喜び、今年も頑張ります。

よろしくお願い申し上げます。

今年の抱負

元日に神社、お寺にお参りにゆくと、沢山の人が参拝に訪れてました。

私は神仏にたいし、自分の個人的願望を祈る対象ではなく、ただただ感謝のみを捧げてゆきたいと思います。

神仏を尊び、神仏に願わず。

もうすぐ春ですね


梅のつぼみが膨らみ、花が咲き始めました。

もうすぐ、「サ」の神様が山から里に降りてきて、桜の木に鎮座されます。

オリンピック

メダルを取った選手、惜しくも逃した選手、その一人一人にドラマがあった。
その上で達する試練を受けきっている。

感動した!

天才と凡夫

プロとして活動が20年を過ぎた。

つくづく思うことは、世の中には天才と凡夫がいると言うこと。

僕は凡夫だから、とにもかくも沢山作ることしかない。

その内で偶然できた技術を、引き出しにしまっていく。

僕のような凡夫にはその積み重ねが必要だ。


寒桜が満開です。

もう少しすると、八重桜が咲き山から「サ」の神様が降りてきて、桜の木に鎮座されます。


神仏

神仏を敬い 神仏に願わず。

人の心は弱いので、どうしても強い力に頼り願ってしまう。

自分の人生は自分で切り開いてゆくぐらいでないと、運命は変えられない。

髙島屋大阪店個展

大阪髙島屋の個展を無事に終えることができました。

手の腱鞘炎のため、一年お休みを頂いたのでお客さまが来てくださるか心配でしたが、皆さん温かく迎えてくださいました。

本当に感謝の個展でした。

ありがとうございました。

満月


いよいよ

いよいよ日本橋高島屋の「小林牧牛の陶人形展」が
6月20日(水)から始まります。


勤めていた会社を辞め、誰一人賛成してくれなかった陶人形作家になると決断してから20年が過ぎました。

多くの方に助けられここまでたどり着くことができました。
本当に感謝、感謝の日々です。

最近、生かされているんだということに気がつきました。

もう少し頑張りたいと思ってます。
よろしくお願い申し上げます。


日本橋髙島屋個展

髙島屋の個展が無事に終わりました。

今年も沢山のお客さまがご来場くださり、ありがたかったです。

年々、歳のせいか疲れがひどくなり、あと何年続けられるか心配になりますが。

でも、一年に一回ご贔屓ざまのお顔を拝見して話をさせていただくのも、とても楽しみです。

感謝、感謝の個展でした。

ありがとうございました。




落語家

落語家の桂 歌丸さんが亡くなった。

「これが私の生業だから、生きているかぎり続けないといけない」

見事に生き抜いた。

立派な方である。

初めての夏休み

くろがねも溶かす暑さかな。

アトリエは土が乾くので、クーラーは厳禁。
されど、室温は38度ぐらいになるので命が危ない。
それで、スポットクーラーを背中に当てるけれど、この程度では今年の異常酷暑には
勝てない。

それで、初めての夏休みをとることにした。

愛犬

16年5ヶ月 体重5.5キロ

2日前から何も食べなくなり、とうとう朝方亡くなった。

かなり以前から目も見えなくなり、耳も聞こえなくなり足がかなり弱くなった。
夜も徘徊するようになり、老犬介護をするため睡眠時間3時間ぐらいになった。
どこでも排泄してしまい夜起こされると、正直嫌になることも何回もあった。
 
ただ可愛いだけで飼うのではなく、動物が年取り介護が必要になることを覚悟して飼わなければならないと思う。 

でも、亡くなってしまうと、そのことも含めて「癒やされていたこと」のほうが断然多かったと感じる。

小さなミニチュアダックスに、命の尊厳を教えられる。
歳を重ねるということを教えられた。
亡くなってしまうと、いろいろなことを思い出し辛く悲しくなるが、「ありがとう」といってあの世におくりだしてあげたい。
次ぎに生まれ変わったら、もっともっと可愛がってくれる人の元へゆき幸せになってもらいたい。

小林クリスくん、今まで本当にありがとうございました。

日本一の富士


富士山らしい姿になりました。

神仏を尊び神仏に願わず。

今年も師走を迎えました。

お正月の行事といえば、お参りですね。
僕も毎年必ず神社仏閣にお参りさせて頂きます。

神様、仏様にお金を投げつけて、「ああしろ、こうしろ」と願う人が実に多いです。
神仏は人間のパシリではありません。

神様に何でも頼んでしてもらおうとするのは間違いなのです。
神仏はすでに見えないとことで、この世界を支えて下さっているのですから、ただただ
感謝するだけでいいのです。

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